伸 び ゆ く 社 会 体 育 (1)

多摩川スイミングスクール
 

                                      体育科教育 4月号より抜粋

スポーツニッポン 新聞社 鵜沢 勝雄 (写真提供/TSS)


■ はじめに  ■


学校体育の行き詰まりから、最近さかんに社会体育が話題に登っている。
体育協会がその新しいにない手として名乗りを上げている事は周知の通りだが社会体育の根の浅い日本にも、いくつかのクラブがそれぞれの形で活動を展開して来ている。
典型的なクラブを訪ねてその実態と志向するものを紹介してみる事も、なにがしかの意義有る事ではないだろうか。

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スイミングクラブは昭和40年に誕生した全く新しい形のスポーツ活動である。
現在は全国で約40、そのうち32が「日本スイミング・クラブ協議会」に加盟し年間2回研修会と称する「全国記録会」をもっている。
クラブの中心は、小・中学生で毎月500円から3,000円程度の会費を払って練習に通い専用、若しくは借用プールで年間を通じて指導を受けいている。
クラブの規模は大別して3つ、100名ないし200名のもの500名前後、2,000名以上のもので有る。


■ 多摩川スイミング・スクールの概要

ここで取り上げる「多摩川スイミングスクール」(略称TSS)は、昭和40年に全国で3番目に誕生(民間としては第1号)現在では会員2、500名という大規模なものである。

川崎市 上丸子 山王町に、25メートルの専用室内プールを持ち、経営者が幼稚園も経営している関係で、
他に約1,000人の園児も「正課体育」として指導を受けている。
指導コースは全部で15、初心組、選手組、主婦と幼児組、土・日組、が主なもので特殊なものとしてオリンピックを狙う「大選手コース」(10数名)と「指導者養成コース」が有る。

又、スクールとは別にサービス会社が独立しており、水泳用具の販売と書籍発行を業務としている。

以上が、スクールの概要であるが非常にユニークな発想と複雑で大規模な経営が目につく。
これは
全て主任コーチ「波多野 勲」氏の企画、運営になるもので日本におけるスイミング・クラブ経営の「型」が氏によって作り上げられたと、見ても差し支えない。



■ 指導上の特色  「水泳指導にも、カリキュラムが有る」

このスクールの指導上の特色は子供の生理学的、心理学的な発育、発達に基いたカリキュラムにのっとっている事であろう、波多野氏はこの2つの面から水泳を解剖して再編成しているがカリキュラム化した事によって、水泳コーチがある程度機械的にできる様になっている。
氏は将来、初心者指導はコンピュータの導入も可能だと考えている。
それ程、氏の初心者指導は一貫した段階付けを終了していると言う事ができようか。

中でも特色の有るのは
「スイミングヘルパー」と言う、発泡性合成樹脂材の「浮き」を利用した初心者指導で、これによって幼児の恐怖心をとり除き、その後も段階に応じて使用する。
練習中のフォームの矯正が非常にスムーズに運ぶと言う事である。

いずれにしてもカリキュラム化された水泳指導法は指導人さえカリキュラムを理解できれば後は比較的容易で水泳のコ−チ不足を解消する良い方法だと波多野氏は語っている。
つまり従来はコーチと言えば「主任コーチ」でなければならなかったものが「サブ・コーチでも、組織の1歯車として充分力を発揮できる」と言う事である。
サブ・コーチを含めて50人と言う陣容もこう説明されれば納得がいく。
そして、これが実を結ぶならば水泳指導上の革命に他ならない。

■ スクール活動   「記録会と、合宿」

このスクールの日常活動の中で目に付くのは
「記録会」である。
どのクラブでも月に1、2回は記録会を持っているが
TSSの場合は毎週、日曜日の午前中に行われ満2年3ケ月で95回を数えている。
それも毎回種目を選定して行うので、子供達は「目標を決めて記録の向上をはかる」と言う旨みが有り、かなり効果を上げている様だ。


その記録は月例ランキングとして発表される。
記録会に伴う細かい事務だけでも大変だが、コーチ達は実にタフに動いており、子供達の伸びや特徴をつかむ上でも他には、見られないものが有る。

ランキングは年齢別に行われ、これによって上のクラスへの進級となる(別に進級テストも行われている)訳だが、1部の優れた者は
オリンピックを狙う「大選手コース」入りが認められ、そうなると毎朝、朝練習に参加する。

記録会を多く開く事はレースに強い子供をつくる為でも有りTSSでは「体力ずくり」を目的に入会した子供でも他の子と競争し、スポーツ選手としての自覚を与える所までは指導している様である。

もう1つ興味の有る活動は合宿である。
それも「冬休み」「春休み」を利用した「短期合宿」【例えば、12月の「通い合宿」1月の「大磯合宿(2泊3日)」の他に昨年8月には1週間の日程で沖縄に「親善合宿」を行っている。

海外合宿は、かなり選考されている(参加、約100名)が、ここでは「社会性の向上」と言う大きな課題に取り組んでいる。


沖縄ではコザ市のクラブと米駐留軍との親善レースを開いているがアメリカの子供達との交流は子供達に「国際的な目を開かせたい」と言う。
又、親達も同行しアメリカ並の生活やパーティ等で得るものが有ったと言う。

しかし波多野氏自身は、1駐留軍のスイミングクラブでさえアメリカ本土の「エイジ・グループ」の競技会方法が完全にとり入れられてる事を発見し「アメリカ水泳会の組織の完全性」にうたれたそうである。

この遠征は、今年も計画されておりTSS以外のクラブにも参加を呼び掛けている。
全ての点で非常に意欲的な活動が目についた。

■ 地域社会に根をおろす

波多野氏のスクール運営の理想として「家族ぐるみ」「地域ぐるみ」と言う1項が有る。
家族ぐるみと言う点で言えば、合宿への父兄参加もその1例で有り、サブ・コーチに組み入れた事もそうである。

問題は、その限界をどこで引くかという事で有ろう、子供が水泳を始めると親が夢中になるのはTSSに限った事では無いが、親の参加の方が問題である。
父兄会の様な組織を作って失敗した例が有るがTSSの場合、あくまでコーチから親へと言う形がとられている様である。

「地域に根を下す」と言うのは非常に難しい・・・スイミングクラブの場合
かなり遠方(片道2時間)からでも会員が集まるし東京に例をとると、どのクラブも地域からは半数以下しか集まらないのである。

こんなエピソードが有る・・・2年前の発足当初、TSSのコーチが全員地域の家庭訪問をし、近くの駅でビラをまいた。
いずれも会員募集の為で有るが、こうした活動は決して無駄にはなっていないと言う事である。
団地や地方小都市でクラブを成り立たせる場合とは立地条件が異なる様だが、やはり必要な活動のひとつと言う事ができよう。

■ 特色ある機関紙 「とびうお」

TSSの特色は活発な「機関誌」活動で有ろう。
機関誌「とびうお」は、2月号で、26号を数え、当初の6ページから、56ページに迄、膨張している。

そして丹念な情報活動が繰返されている。
最近の特色は海外の水泳専門の論文紹介と新聞の切り抜きで有るが、前者の場合は非常に高度なもので有り、専門的でも有る。
後者は波多野氏自身の要求にもとずいていると言う事だが、日刊誌の水泳関係記事を網羅して水泳愛好者のの役に立てると同時に水泳ジャーナリズムの動向を知り、又批判する目を養うのが目的だと言う。
「とびうお」は、3月号からは、全国誌となり、私設のスイミングクラブ機関誌(全国で唯一)として展開する。

この辺には
水泳界を一心に荷負う程の気迫も読み取れるが波多野氏自身、全国スイミングクラブ協議会の常任幹事でもある所から思いきって指導性を持ち出したものであろうか。

■ 指導人を支える「指導者養成コース」

TSSの活動の中で見逃す事の出来ないのは「指導者養成コース」で、あろう。
理論と実技から成り夜間授業となっているが、
ここを出てTSSのサブ・コーチとなった人や近くの小・中学校の先生で、水泳指導の基礎を身に付けに来る人もかなり居る。
内容は初心者指導に必要なあらゆる項目が含まれていて、基礎的な「人体解剖学」から「生理学」など大学教授まで動員している。

先にあげた「機関誌」といい「海外合宿」といい、いずれも1スクールの範囲からは大きくはみ出し水泳界の発展に直結した方向を示している。
社会体育を論じる場合、現場の指導者の中にここ迄考慮して広い社会的視野と科学性タフな活動のできる者がどれだけ居るか問いたい気がする。
実に根深い活動と言わねばなるまい。

■ 企業としての「スイミング・クラブ」

最後にTSSの指向するものは「企業としてのスイミング・クラブ」だと言う事を書き添えよう。
日本のスイミング・クラブは、アメリカを真似て出発したものであるが企業性が加わったと言う点で一歩先を行くものである。
これはアメリカの水泳関係者の言でもある。

波多野氏によるとスイミングクラブでは「株式会社」で出発する事が最も望ましいと言う。
それは「民間の仕事」であるからで有る。

従来、篤志家に頼って来たクラブの限界を打破するには、企業として成り立つ事で「社会的存在」に迄、発展させなければならないと言うのである。

体協の打ち出した「社会体育」は、依然「政府」や「篤志家」に依頼するものであるが、それが本当の意味での「社会体育」の発展に繋がるものなのかどうか・・・
いずれにせよ「日本」と、言う「風土」の中で波多野氏は新しい方向を切り開こうとしているのだ。