<ちょっと旅話>バックナンバー 2002年10月〜12月(文:ねもちゃん)

12.31 元日の空中散歩

 1999年の元日。この年の干支は卯。四国に「卯之町」という駅があるのでここへ行くのが目的で、私は羽田から全日空で岡山へ飛んだ。普段なら名古屋辺りまで海岸線沿いを飛行するルートのはずだが、この日は湘南の海から箱根を通り、内陸に入っていく。やがて富士山を回りこむように進み、乗客が少ないこともあり、みんな窓からの景色に見入っていた。ちょっとした空中散歩でした。

12.3 2社の時刻表が間違えた乗り継ぎ割引制度

 なんと、時刻表の特急料金早見表がJR、JTBともに間違えており、訂正がホームページにでていました。
それは、今回のダイヤ改正に関連した青森−函館(乗り継ぎ)−札幌方面間の特急料金で、理由は本州内と北海道の乗り継ぎ割引適用の判断を誤ったためでした。
 でも、これをよく調べると何ともおかしな現象が起きます。
 それは、青森駅から北海道方面へ行くの場合、乗り継ぎ割引の条件を満たさず、2つの列車の特急料金を合算するので割高ですが、距離の長い東北本線浅虫温泉駅から行ったほうが乗り継ぎ割引が適用されるため、札幌までで1520円も特急料金が安くなるのだ。
 詳しくは、後日、どこかのページでお話ししましょう。

11.23 急行列車

 時刻表の12月号が発売され、ペラペラとめくってみた。今回は東北新幹線の八戸延伸が大きな変更点だが、一時に比べてわくわくしなくなった。むしろ、寂しい思いがする。いよいよJR東日本から定期急行列車が消える。中央本線「アルプス」、東北地方の「陸中」「よねしろ」も12.1改正で廃止され、快速列車や臨時列車化される。
 昔、「ワイド・ミニ周遊券」は往復経路上で急行列車の普通車自由席に乗ることができた。だから、北海道からの帰りに青森から臨時となった急行「八甲田」に乗ったものだ。もう当時から車内は閑古鳥。自由席で2割も埋まっていなかった。
 確かに新幹線や特急列車、その他の交通の発達で急行列車は必要なくなってきたが、これも時代の流れでしょうか。

11.17 周遊券

 私が学生だった頃、よくJRの「ワイド・ミニ周遊券」を使って旅をしていたものだ。指定地域のJR線・JRバスが自由周遊区間で乗り降り自由。往復の経路は指定されたものを利用するのであるが、よく調べると非常に面白いことができるきっぷであった。
 例えば、往復乗車券を買うよりも周遊券を買ったほうが安い、指定経路が大回りでもOKで値段は同じだから、ぐるっと回って旅行したり。有効期間が最大で20日間もあったから、最大限使って北海道を回っていた人もいたな。北海道、東北、九州では夜行列車の普通車自由席を宿代わりにして、「○○返し」なんて呼んで、深夜に反対方向の夜行列車に乗り換えるつわものもいました。
 もっというと「普通・グリーン周遊券」なんていうのもあり、周遊指定地(大型時刻表の索引地図に緑色の網が入っているのはその名残)を2箇所以上回るなどの条件をクリアして、JR券とバス・船などの船車券が1枚ずつ綴られるものもあった。(きっぷ作る側泣かせであったらしい)
 それらは現在「周遊きっぷ」に代わったが、私にとっては使い勝手が悪い。これに代わってから使ったのは2回くらいしかない。「ワイド・ミニ周遊券」のように手軽に買うことができないのが理由だ。往復のきっぷとゾーン券が別々で、最低3枚のきっぷを頼まなければならないし、ルールもややこしいから面倒である。先日、この「周遊きっぷ」が大幅に整理されたが、買う側、発売する側ともに面倒くさいのが一番の問題だろう。近いうちになくなってしまうかもしれない。

11.14 十五夜の夜行列車

 今年の9月、札幌でのサッカー観戦の後、夜行列車で最北の街稚内へ向かった。この日は勝利の美酒でかなりいいご機嫌だった。実はこの日の月は十五夜だったのだ。そんなことはすっかり忘れていた私であったが、翌朝5時頃、列車は幌延辺りの原野を走っていた。窓の外はまんまるの月が輝いていた。思わず、カメラを持ち出してデッキでこの月をどうにか撮影した。もう、デッキの窓は露がついていたので、外はさぞかし寒いのであろう。案の定、稚内で列車を降りると外はひんやりとした空気に包まれていた。

10.28 通過待ち

 冬や春の青春18きっぷシーズンに北のほうへ旅に出ると、列車のドアは半自動ドアで自分で開けなければなりません。でも、ほんのちょこっと隙間が開いてしまって冷たい風が入ってくるんですよね。特に雪国だと通過列車が巻き上げた雪煙が入ってきたりします。最近は新型の車両になって、密閉性が高くなりましたけど、旅情が少しずつなくなってきますね。鉄道もここ10年で変わったな。客車鈍行列車はなくなり、普通・快速列車がずいぶん新しい車両が登場しているし、快速列車で時速130kmの時代だよ。東日本だけは遅いけど。

10.16 自動改札になって

 10月14日「鉄道の日」、今年はハッピーマンデーの体育の日で祝日。そんな日に、とあるラジオ番組で「駅」というお題でメッセージを募集していました。そこに私も投稿してみました。
 最近は駅も自動改札ばかりになってしまいました。
 学生時代は駅の改札口で「おはようございます」と駅員さんが声をかけていて、それに私も挨拶を返していました。
 今年になってから、私の自宅の最寄駅に1人だけですが、係員のいる通路の窓口から挨拶をしている駅員さんがいます。
朝、「おはようございます」と声をかけてもらえると、すがすがしい気持ちになりますし、仕事帰りも「お疲れ様です」と声をかけていて、あー、帰ってきたなと、ほっとします。
 私も最近は、この駅員さんに挨拶をするようにしています。

10.5 北の港の見送り

 ここ数年、私は毎年のように北海道礼文島まで足を運んでいます。礼文島は花の浮島と呼ばれ、平地でも高山植物が見られる。最近は中高年齢層に人気の観光地になっている。7月あたりは船の2等桟敷は居場所がないくらいだ。
 さて、夏場のシーズン、礼文島香深港で懐かしいアニメソングを歌いながら踊ったりして見送りする若者たちがいる。彼らは桃岩荘ユースホステルのスタッフや宿泊者たちである。
 このユースホステルは度々テレビや新聞などメディアで取り上げられるが、昔ながらのユースホステルだ。お酒はダメ。食器洗いは自分たちでやる。ミーティングがあって、歌ったり踊ったりする。消灯は22時。これだけ挙げれば行きたくなくなるかもしれません。
 しかし、この見送りをされてしまうと、また帰ってきたいと思ってしまうのです。
 ここでは、礼文島を縦断して歩く「8時間コース」などで団結し、仲間が増えたりする。そんな仲間との別れを楽しく、思い出に残るような見送りしてくれます。私はここを普段の生活に疲れたときのふるさとだと思っています。

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