2002.9.6 あるサポーターとの永久の別れ

 浦和レッズのホーム試合では、「オフィシャルマッチデープログラム(以下、MDP)」が販売されている。サポーターの投稿も多く取り上げていて、非常にサポーターに密着した内容である。

 さて、9月4日ナビスコカップの柏戦で発行されたMDP202号を見て、私は涙を流した。いわゆる編集室からのコメントで、あるサポーターが亡くなった話を取り上げていた。実は、私はこの方のお世話になったのである。

 あれは昨年7月、今はオランダのフェイエノールトで活躍している小野伸二選手の浦和レッズでのラストゲーム。私は土曜出勤でありながら、午後からアウェーの広島まで飛んだ。このとき、空港で出会った人と一緒にスタジアムへ向かい、一緒に応援に誘われたなかにその人はいた。グループの中では「センセイ」と呼ばれていた。この試合は3−1と小野伸二の船出を地元(山口県徳山市)に近い田中達也が2ゴール決めて勝利で祝った。試合後、我々は市内中心部まで出て深夜まで呑んでサッカー談義に花が咲きました。それから、チケットが余っていると私を誘ってくれてスタジアムへ足を運ぶようになった。

 天皇杯ではクリスマスイブの仙台まで足を伸ばし、準決勝の埼玉スタジアム2002へ進出決定。そうしたら、チケットが完売状態になってしまった。そんなとき、センセイが電話予約分のチケットを引き換えて私にまわしてくれたのだ。

 今年に入ってからもワールドカップ前までセンセイはスタジアムへ足を運び、ビールを飲んで試合開始前のひと時と仲間とともに楽しんでいた。自分は「俺はUB40(浦和レッズのサポーターグループURAWA BOYSのOVER−40)だからね。」なんて、いいながら。しかし、仲間の中からは「しっかり診てもらったほうがいいよ。」と言われていた。どうも、健康状態は決して良くなかった。

 ワールドカップ明け、センセイはスタジアムに姿を見せなかった。本人は嫌がっていたが、入院をしたそうだ。ただ、お見舞は具合がよくなってからにしようと話していた。しかし、私はお見舞に行くこともなく、8月23日の朝、出勤途中の携帯に信じられないようなメールが入ってきた。センセイが亡くなったのだ。一番のサポーター仲間に連絡すると会社が終わったらすぐにお通夜に向かうとのことだ。
 正直、この日は仕事が手につかず、早退してお通夜に向かった。普段着姿でしか会ったことのない仲間が正装して集まっていた。みんな、受け入れられない現実に戸惑っていた。まだ、センセイがそこにいるのではないか、と。よりによって、リーグ戦の谷間に・・・。こんなことまでしっかり気を使って・・・。

 浦和レッズはナビスコカップでは好調で、予選トーナメント1位の好成績で通過。リーグ戦はいまいちの成績ではあったものの、惜敗の試合内容が多かったので、近いうちに希望はある。しかし、センセイはサポーターのままいなくなってしまった。41歳の若さで。 

 センセイと私は趣味が合っていて、一度はカシオペアで札幌の試合に行きたいね。なんて、鉄道の話もしていました。時には私にビールをおごってくれたこともありました。その旅は実現することなく、21日札幌ドームで試合があります。私は都合をつけていくことにしました。でも、ごめんなさい。北海道へは飛行機で行かさせてもらいます。

(文:ねもちゃん)

追記:ついにレッズはナビスコカップ決勝の舞台を踏む。そしてリーグ戦2ndステージも折り返しの第8節を終わって負けなしの首位。センセイが天国で見守っているのかな。(2002.10.16 一旦ファイルを消してしまったので改めて書き直しました)

 

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